初代事務局長・元顧問 中村信雄(51回卒)※2012年12月 ご逝去

 事務局長の地主忠夫氏より電話があって、創立当時のことを書くようにとのこと。

 東京鶴翔同窓会創立のことに触れて書いたことがあったのは、会報14号(昭和59年)に「創立当時、走り使いした者の一人」として「語り継がん、この集いを」と、匿名で寄稿した中に「東京鶴翔同窓会は自然発生的に誕生したと言えよう」と書いたことだった。

 当時、鶴岡北高の同窓会、如松会東京支部は盛んに活動していたし、鶴岡工業高校の同窓会関東支部も、5年に一度、盛大な同窓会を開催していて、我が南高校だけが東京に何も無いのは不自然でもあった。  昭和43年に本部同窓会長に推されて就任された平田貢氏が、「東京に同窓会ができるんであれば・・・」という半ば条件付であったことにも慫慂され、刺激を受けたことであった。

 当時、住居表示がめまぐるしく変わったりして、同窓生の中から配偶者を考えたい人がいても、名簿が不整備で不便極まりないものであったことも事実である。

 有志が何度か集まり、手分けして各年次の名簿を作成して、昭和46年5月12日、最終設立準備会(出席者28名、当時の南高校長42回生の小松佳雄氏、本部同窓会の事務局長 33回生の佐藤義三郎氏も上京して出席)を経て、同年10月8日、千代田区大手町野村ビルの永楽クラブで、二百人以上の出席者を得て、創立総会並びに懇親会を開催した次第。来賓として恩師の先生4人、伊藤太一郎氏、吉田義信、菊池安郎、吉野正彦の諸先生、鶴岡より11人、本部同窓会長 平田貢氏、副会長 犬塚又太郎氏(31回生)、同山口卓二氏(49回生)、校長 小松佳雄氏、鶴岡市長 白井重麿氏(39回生)、本部諸役員の旅河孫六氏(24回生)、ギッチャこと佐藤義三郎氏、酒井忠明氏(43回生)、門野文雄先生、宮本正勇氏(30回生)、安藤定助氏(43回生)などであった。  

 同窓会東京支部としないで、単に南高校東京同窓会(後に東京鶴翔同窓会)としたのは、本部同窓会長 平田貢氏のたっての御希望であった。平田貢氏が26回生で、東京の初代長田倉八郎氏が23回生の先輩であるので、平田本部会長、田倉東京支部長という形は失礼に当たると考えられたものと思われた。

 創立総会終わって、田倉八郎会長が、あちこちに挨拶状(10月23日付)を送られたが、その文章の中に「同窓生の親睦を図ることは、無限のエネルギー源にもなると考えられます。母校の発展と郷里の繁栄に寄与できるように本会を成長させてゆきたいものと念願いたします。」と書かれたが、同窓会の本質的なものであると思う。(2002年4月15日)

※このご挨拶は、2002年、ホームページ開設時に寄せられたものです。