工藤 司朗氏(63回卒)への追悼
📩 水口 誠(82回生)
追悼
また一人、敬愛する先輩があの世に旅立たれました。
工藤司朗氏、鶴岡市湯田川出身、横浜市旭区在住、63回卒、享年87歳。
鶴南時代は、勉学にいそしみ、卓球部で活躍されました。
一級建築士で、エンジニアとして会社勤めの傍ら、卓球というスポーツを愛し、永年、横浜市の卓球連盟の副会長として、地域の卓球界を支えてこられました。
横浜市で開催された世界卓球選手権大会、全国的な大会の荻村杯等々。卓球をよく知る建築士ならではのアイデアで、大会の成功に貢献されました。
現在、私がお世話になっている横浜ベテラン会(卓球クラブ)にも長く在籍され、沢山の選手をクラブに紹介し、その方々は、現在も素晴らしい活躍をされてます。
自らも全国的な大会の東京選手権大会に、神奈川県代表として出場し、ある試合では、私もベンチに入らせて頂きました。
工藤氏は、とても温厚で優しい性格のため、多くの方々に慕われ、みんなと談笑するのが好きな方でありました。
2024.9.1(日)のお通夜には、ご親族に加え、大勢の卓球関係者が参加され、故人を偲びました。
思うに、その人柄は、恩師の小菅先生に瓜二つではなかったでしょうか?
工藤氏は、作家※藤澤周平(本名小菅留治)氏の数少ない教え子の一人でした。
小菅氏は、湯田川中学校で教鞭をとる中、肺結核が見つかり、療養の為わずか2年の教員生活しか送れなかったのです。
小菅氏の一人娘、遠藤展子氏の著作「残された手帳」の中に、工藤氏と小菅氏とのやり取りが記載されています。藤澤氏の初期の小説に「先生の作品は、結末が暗くて、読み終えた時、救われない気分になってしまう。」と感想を述べる工藤氏に「俺の心境では、明るい結末の小説が書けないんだよ。もう少し待ってくれない。」と小菅先生は答えています。
この当時の小菅氏は、悲惨なまでの人生の不平等に対する根深い鬱屈を抱えており、その気持ちを大事な教え子には、吐露していたのです。
このくだりが、2024.7.28付の日本経済新聞の9~11頁の藤澤周平特集にも掲載されていました。
その後、読後に救われる思いのする独特の藤澤文学に、徐々に変わって行くのでした。
両者ともに、鶴岡南高の先輩であります。
天国で、師弟お二人で仲良くお酒を酌み交わしている情景が浮かんで参ります。
合掌
82回卒 横浜市泉区在住 水口 誠
※:「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「三屋清左衛門残日録」「用心棒日月抄」等々多くの作品を書かれた時代小説作家として著名な方です。