古き良き時代

📩 中山千史(63回生)
現代の南高生がどのような誇りを持って毎日を過ごしているか遠く離れて想像すべくもないが、私たちはそれなりにかなり明確な夢と誇りを持ち、街の人もそれなりの目で見てくれた。学帽には二本の白線がつき、それが目印で、どこへ行くにも帽子だけは身に付けていた。また履物はほうばで所謂、身の厚いあしだの一つだが、歯が減ると下駄屋で新しいものを付け替えてもらった。これをガラリ、ゴロリと引きずるように歩くのである。南高生以外には履かないものであった。
当時、高等学校というものはこんなものかと思ったが、国語の先生のお名前は馬場久左衛門とおっしゃり、その板書の美しさは懐かしく、私たちを呼ぶのに「〇〇さん」と丁寧に呼んで下さって恐縮したものである。どうやら旧家の出らしく思われた。その頃の入試には英語の科目はなく選択であった。従って中学での英語も疎かになった。南高に入ってみると「ジスイズエイボーイ」と節回し宜しく「この語のヒンスは何か?形容スにあらず」といった塩梅で、とても大学入試には程遠かった。勿論、他にも英語の先生は沢山いらしたことは言うまでもない。それにしてもこのままでは英語は物にはなるまいと、学校図書館へ出向き赤尾好夫の「英文解釈」を見つけ、それを何度も読み耽った。英語は楽しかった。アルバイトでこの本を買うのが夢であった。
無論、修学旅行も3年になれば話題になったが、殆どの生徒が大学進学を目指すのであれば旅行の経費は無駄であろうということになり、クラスで話し合った結果、秋田へ一泊の結論になった。担任に異存はなかった。クラスごとに結論は異なったが、楽しい思い出になったことは言うまでもない。結局、大学では英語を専攻して一生の仕事となり、現在でも何らかの形で英語に関わりこれを極めたいと考えている。

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