あれから40数年

📩 鎌田 喜子(63回生)
東京鶴翔同窓会への初めての参加は、今年50歳になる末娘が3歳の頃だったと記憶する。佐藤寒山先輩が会長をされていた。仲人をして頂いたこと、折しも夫の転勤で北海道から帰京した年だったこともあっての参加だった。その年だったか、女学校(北高)如松同窓会の東京同窓会長が、佐藤寒山夫人、百合子さんだったりで、双高の合同同窓会が開催された。女学校卒業の叔母と一緒に参加出来たり、北高へ進学した中学時代の旧友と相まみえることができたり、楽しくも華やいだ会だったことを思い出す。
あれから40数年、第49回総会への参加まで欠席は3,4回位である。やっと高齢会員になったとたんにコロナ禍に苛まれる羽目になったことが悔やまれる。笑…。
7代目会長の故桜井文子さんは初の女性会長となられ、私達63回卒の誇りだった。平成13年、第31回総会は63回生など、末尾に3のつく卒業年次が担当で、会長が女性なら実行委員長も女性と推され、私が務めることとなった。会長の文ちゃんから「男(おどご)しょの意見は事後承諾でいいさげ、ちゃっちゃとやろう」と言われたのを覚えている。そこで21世紀の幕開けだなどと、会場を帝国ホテルにして開催した。二人で喜び合ったことだった。その年、私達は63歳だった。10年ごとに総会の実行委員を務める制度になって、43歳、53歳、63歳の年に委員が回ってくることになっていた。その63歳のメンバーが63回卒というめぐり合わせも面白い・・と同期の諏訪 浩さんが数学の妙を発見してくれた。73回の方々にもお力添えを頂き、いまだに親しくお話しさせてもらえている。確か、コロナ禍でなかったら令和3年は83回が年次担当ではなかったのでは?あれから20年と数えている。
鶴岡はオンライン、リモート、SNSと、うめものも通販ですぐに食(か)えるほどの至近距離になった。でも、集えて立てる我が学舎は鶴岡南であり、山河の姿うるわしく変わらず。校名は変わっても、その名よ代々に光あれ!栄あれ!誉あれ!鶴岡南高校。

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